日別アーカイブ: 2025年12月18日
豊橋アリーナの開業、そして穂の国道の駅の開業予定をきっかけに、豊橋市内の回遊性を高め、さらに豊橋・豊川・田原・蒲郡・新城・奥三河エリア全体「穂の国」を元気にしていきたい――。 その思いから生まれたのが「穂の国謎解き散歩」です。歴史や文化の舞台となった場所を、みんなで歩きながら“謎解き”するように学び、地域の魅力を再発見していく市民参加型の企画です。 ここでは、第1回の様子と、前方後円墳にまつわる素朴な疑問Q&Aをご紹介します。 【第1回】馬越長火塚古墳群を歩く ――東海地方最大級・全長70メートルの前方後円墳―― 2025年11月15日、「穂の国謎解き散歩」の第1回として、豊橋市石巻本町の柿畑に囲まれた馬越長火塚古墳群を訪ねました。 見学の中心となったのは、全長約70メートルを誇る前方後円墳。 東海地方最大級の規模を持つこの古墳は、6世紀末に築造されたと考えられています。 副葬品として見つかった馬具には、朝鮮半島から伝わったとみられる「鉄に金メッキを施す」高度な技術が使われていました。 書籍や資料をひもとくと、この時代には中国や朝鮮半島の影響を受けながら、「鉄と馬」、そして「最新の農耕技術」が日本列島へと伝わってきたことがわかります。
横の資料は仁徳天皇陵(仁徳天皇百舌鳥耳原中陵)前方後円墳の周濠は、雨水を貯める「溜池」の役割も果たしていました。日照りが続いて水不足になった際、ため池に貯めておいた水を水田に供給することで、稲作を安定させ、収穫量を増やすことができました。この溜池機能は、自然頼りだった稲作から自然を制御する稲作への転換を促し、古代の農業土木技術の発展と古代国家形成の謎に迫る重要な要素とされています。
古代東アジアと日本列島 ――グローバルな視点で見ると――古墳が造られた6世紀前後の時代を、少し広い視野で眺めてみると、当時のダイナミックなつながりが見えてきます。 中国では、魏・呉・蜀が争う三国時代から南北朝へと続く激動の時代 朝鮮半島では、高句麗・新羅・百済・加耶(かや)といった国々が互いにしのぎを削っていた時代 日本列島では、弥生時代から古墳時代を経て、飛鳥時代へ移り変わろうとしていた時代 こうした中国・朝鮮半島の戦乱や政治の変化の中で、人やモノ、技術、情報が海を越えて行き来し、日本はその影響を大きく受けていきました。 やがて、そうした交流の蓄積の上に、聖徳太子による十七条憲法(604年制定)が生まれます。 「穂の国謎解き散歩」では、このようにグローバルな歴史の流れと、目の前の古墳や神社・寺院をつなげて考えることで、地域の景色がまったく違って見えてくる体験を目指しています。
前方後円墳のギモンQ&A ――現地で出た「なぜ?」にお答えします――見学の中で参加者のみなさんから寄せられた、前方後円墳に関する質問をいくつかご紹介します。 ◆Q. なぜ、この時代に巨大な前方後円墳が造られたのですか? A. 権力を「見せる」ための巨大なモニュメントでした。 前方後円墳の多くは、交通の要衝や港に面した場所など、人の往来が多い場所に築かれました。 目的は、当時の首長(支配者)の権力を誇示すること。 遠くからでもよく見える巨大な墳丘を造ることで、「この地域にはこれほどの力を持つ支配者がいる」ということを、行き交う人々や領内の人々に強く印象づけていたと考えられます。 ◆Q. あんなに大きな前方後円墳を、どうやって造ったのですか? A. 計画から完成まで、10年以上かかる一大プロジェクトでした。 おおまかな流れは次のように考えられています。 立地の選定 まず、古墳をどこに築くかを決めます。権力を誇示できる場所かどうかが重要でした。 地ならしと設計 土地を平らにならし、古墳の形を地面に描きます。全体のバランスを見ながら設計が行われました。 櫓(やぐら)を立てて全体を監督 工事全体を見渡せるよう、少し離れた場所に櫓が建てられ、そこから監督者が指示を出したと考えられています。 盛り土と堀の掘削 古墳を盛り上げる土は、周囲に掘られた堀から出た土を利用しました。それでも足りない場合は、周囲の地域から土を運び込んで盛り上げていきました。 石室と石棺の設置 頂上の中央に大きな穴を掘り、そこに石室を設け、石棺を納めました。 このような大規模工事は、首長が生前から準備を始め、完成までに10年以上かかったともいわれています。まさに地域総出のプロジェクトだったわけです。 ◆Q. 前方後円墳は、なぜあのような独特の形をしているのですか? A. 「儀式の場」と「埋葬の場」、2つの役割を組み合わせた形です。 四角い「前方部」…首長のための祭祀(まつり)を行う場所 丸い「後円部」……首長が埋葬されている場所 この2つが組み合わさることで、「生前の首長をたたえる場」と「死後の首長を祀る場」が一体となった、象徴的な形になっていると考えられています。 ◆Q. 古墳の向きは、どの方向を向いているのが正しいのですか? A. 実は、向きはバラバラ。不規則なのが特徴です。 前方後円墳の向きには決まったルールはなく、長い時間をかけて多くの古墳が築かれる中で、「見せたい方向」が変化していったと考えられています。 交通の要衝に向けて築き、通る人々に畏怖の念を抱かせる 山の上から見下ろす形にし、遠くからでもよく見えるようにする 領内の人々が日常的に仰ぎ見ることで、支配者の存在を強く意識させる いずれの場合も、「とにかく大きく見せて権力を誇示する」という目的がありました。
今後の「穂の国謎解き散歩」について穂の国謎解き散歩では、前方後円墳だけでなく、「ええじゃないか」や相撲神事で知られる牟呂八幡宮、天狗と鬼のからかいで知られる安久美神戸神明社、さらには鳳来寺・石巻山・石巻神社など、穂の国の歴史と文化を象徴する場所を順に歩いていく予定です。 各回ごとに、地元に詳しい研究者や、地域にゆかりのある方々をリーダーとしてお招きし、ガイドブックには載っていないようなエピソードや視点を交えながら、「謎解き散歩」を楽しんでいただきます。 ※具体的な日程・集合場所などの詳細は、本ページ内のご案内をご覧ください。
参加のご案内歴史に詳しくない方 地元に住んでいながら、意外と知らない場所を知りたい方 豊橋・穂の国エリアをもっと好きになりたい方 どなたでもご参加いただける内容です。 歩きやすい服装で、ぜひ「謎解き」の気分でご参加ください。 お申し込み方法や参加費、定員などの詳細は、本ページ下部のご案内をご確認いただくか、国際法務コンサルタンツ事務局までお問い合わせください。 ―― 穂の国の大地に眠る古代の物語を、いっしょに歩きながらひもといてみませんか。 (国際法務コンサルタンツ事務局、太田美代子)